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世界初のパソコンPETが私の人生を変えた

The World's First Personal Computer PET Changed My Life.

40年前に初めて出会ったコンピュータ、それは、世界初のパーソナルコンピュータと言われたCommodore社のPET-2001だった。

大学入学直後、とある先輩に「暇なら来ない?」と声をかけていただいた日を境に、このPETに向かう毎日がはじまった。

1年ほどたったある日、事務所の先輩が輸入して組み立てたというApple Iを見せてくれた。しかし、当時の私には先輩の熱弁が伝わらなかった。何故なら先輩お手製の箱に収まっていたApple Iのキットはダサかったし、キーボード・ディスプレイ一体型のPET-2001で動くゲームを見た時のインパクトが強烈だったからだ。

でも、真面目に先輩の話を聞いておくべきだったかもしれない・・今なら、Apple Iはオークションで数千万円の代物らしい。

大学では電算センターに入り浸り、バイト先ではコーディング漬けの毎日が続き、夢の中でバグ取りをする事も日常化していた。CP/M、MS-DOS、ファイルシステム、マシン語、オフコン、PC-8000、トップダウン・ボトムアップ設計、多くのことを、先輩から教わった。

当時、人工知能を研究されていた大阪大学の講師が最先端のコンピュータ技術のイロハをとても丁寧に教えてくれたことが、ありがたかった。今思えば、とてもラッキーな出会いを神が与えてくれたのだと思う。

大学を卒業する頃、バイト先の社長が「世の中が大きく変わるぞ。事務所に残らないか?人生にチャンスは数回しか来ない。チャンスかどうかは自分で見極めろ」と言われた。しかし、当時の私には、それがはっきりとは理解できなかったので、社長の思いとは正反対に大学の先生ご推薦の橋梁メーカーに就職した。

私は社会人になって5年目、本州と四国を結ぶ1兆円をかけた瀬戸大橋の工事が佳境に入り、下っ端ではあったが、それなりに多忙な毎日だった。しかし、二人目の子供が出来て、この世紀の大工事が無くなったら、このままでは生活費が足りなくなるのではないかなぁ?となんとなく不安に思っていた。

その頃、何故か配属先であった設計部の本棚の片隅にVAXについて書かれたメーカーのハンドブックが置かれていることに気づいた。私は妙に気になったので、上司に聞いてみた。「どうも、そのパワーはすごいらしく、ハンドブックはメーカーの営業マンが置いていったようだった。しかし、馬鹿高いらしい」

その後、私は学生時代のバイト先のことを思い出しながら、そのコンピューターメーカーのことを調べた。色々、調べると、誠実でチャレンジングなメーカーのように感じたのと社長(創業者: Ken Olsen)の笑顔に惹かれ、そこに転職することにした。

転職して驚いたのは、社員が電子メール(社内専用)やVAX Notes(今のブログのような社内専用掲示板)を世界中のエンジニアとコミュニケーションをとりながら、自由自在に使いこなしながら仕事をしていたことだ。今から30年以上前の話だ。

技術オタクだらけの会社だったから、開発に困ると、VAX Notesを今のGoogleのようにして毎日のように使っていたことを思い出す。

その数年後、社内のコンピュータをインターネットに悪戦苦闘しながら繋げてみた。(今はインターネットに数十億台のマシン、ありとあらゆるものが繋がっているが、当時は数千台のコンピュータが繋がっていた程度だったと思う)

社外ネットワークへの接続については、セキュリティが厳しかったから、詳しいエンジニアに聞きながら、どこかのサイトを経由するようなことをして繋いだ。もちろん、仕事とは何の関係もない。(当時は、そういう余裕が会社の原動力になっていたと思う)

しばらくして、WindowsNTというOSが開発されているらしいという話が耳に入ってきた。これをDEC Alphaに導入して、その上でシステムを開発し、私の担当するお客様に導入することになった。未だ、Alpha版WindowsNTは日本になかったので、開発途上のインストールキット(らしきもの)を米国から取り寄せて、苦労しながら研究所に缶詰になって、ベンチマークをした。その性能は驚くべきものだった。

その1年後くらいだったと思うが、自分のデスクのPCからAltaVista(Googleのような仕組み)を使えるようにしてみた。AltaVistaから垣間見えるインターネットの世界に驚いた。あの時の感動は今でも鮮明だ。

SEとしての色々な経験を積みながら、本当に世界が変わり出したと思った。(バイト先の社長の言ったことは本当だと、ようやく気づいたのである)

それから、20年経った今、モバイル、アプリ(好きな言葉ではない)、SNS、クラウド、多種多様なシステム・サービスがインターネットの力を借りながら世界中を覆い尽くしている。

確かに、これらは便利で、愉快で、暮らしを、世界を変えていく力がある。

ところが、これらのハードウェア、ソフトウェア、サービスを選んだり、使いこなそうとするためには、本当に自分が必要な情報を得るまでの苦労が必要になる。

そりゃあ、その苦労はGoogle様のお陰で、30年前に比べると天と地の差だけれど、残念ながら、高価な品物、サービスの場合は、気軽に試す訳にはいかないし、何よりも開発・導入のための時間は貴重だから、事前の調査は大切だ。

様々なハードウェア、ソフトウェアのマニュアル・メーカーが運営・支援する掲示板、よくある質問集、Amazonの製品評価記事、多くのブログ、レビュー記事を探したり、直接、メーカーにも聞くが、本当に自分が必要とする有益な情報を得るのは難しい。

課題を明確化し、情報を探し続ける根気と見極める力が必須になる。加えて、得た情報を活用したシステムやサービスを実際に受け入れられるようにするまでは想像以上の時間と頭と体力を使う。

数年前に体調を壊したこともあり、それをきっかけに、過去の色々なことを考えてみたのだが、私は、ひょっとすると、かなりラッキーな経験をしてきたのではないかと思えてきた。

今まで、そんなことを考える余裕も無かった・・・ 単に目前の仕事に必死だったからかもしれない。(どうも、私の頭の構造は目前のものしか注力できないシングルタスクらしい。これは仕事に限ったことではない)

橋梁のあるパーツのCADシステムの入力インターフェース開発(ここで入力されたデータは当時世界最速のドラム型プロッタで図化された。これを使うと1週間かかっていた作業が1時間で終わるすごいやつだ)

工事現場のコンピュータと本社コンピュータを接続した支援サービス(今のクラウドのようなものだ。多量のデータを現場から受け取り、入力し、計算結果を現場に届けたり、プリンタから出力できるようにしたりした)

日米欧で医薬品の安全性情報を交換するためのシステム開発(各国の様々なサイトのマシンを連携させて動く仕組みを作ることは技術的な面以上に多くのことを学んだ)

米国製の製薬業向けグローバルパッケージの導入、米国Oracle社との協同開発、CROとITを組み合わせた新ビジネスの企画・実現、パッケージ開発・運用、いくつかのクラウドサービスやアプリの企画・開発、人工知能 BERTを使ったツールの開発などなど・・多種多様の仕事に携わってこれた自分に気付いた。

国内外の企業を転職したり、上場企業に出資をお願いして会社を設立するなど、多くの経験を積めたと思う。すべての仕事の共通点は、組織、情報、ソフトウェア、ハードウェア、通信を組み合わせた新しいシステム・サービスを提案して実現する仕事だった。そういうことを30年以上続けてきた。二番煎じは嫌いなのだ。

これらの経験は、ひょっとすると、誰かの役に立つかも?と思った。

これが、このサイト rontaro.com を立ち上げた動機である。

〜 My philosophy is deep thinking. 〜

Shuttle Bros.株式会社
代表取締役 松尾聖信

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